- 医師の健康診断業務報酬が「給与所得」か「事業所得」かを判断する際の法的基準
- 「労働者ではない」との民事判決があっても、税務上の所得区分は別個に判断されることの理由
- 空間的・時間的拘束、指揮命令関係、費用負担・リスク帰属など、裁判所が重視した認定事実
- 業務委託契約を締結していても給与所得と認定されるリスクと、その回避策
- フリーランス医師・複数医療機関勤務の医師が実務上注意すべきポイント
医師として複数の医療機関で健康診断業務に従事されている先生方にとって、「この報酬は事業所得として申告できるのか?」という点は非常に重要な関心事ではないでしょうか。
もし事業所得として認められれば、必要経費の計上や青色申告特別控除など、税務上のメリットは大きくなります。しかし、形式的に「業務委託契約」を締結していても、実態が伴わなければ税務署から「給与所得」であると指摘されるリスクがあります。
しかも、
「過去の民事裁判で『労働者ではない(業務委託である)』との判断を受けているのだから、税務上も事業所得として認められるはずだ」——。
そう考えて申告を行っている医師や個人事業主の方は少なくありません。しかし、名古屋地裁令和5年6月22日判決は、その期待に冷水を浴びせるような結果となりました。
本件の原告である医師は、過去に複数の裁判所で「労働者ではなく業務請負人である」旨の判断を勝ち取っていました。それにもかかわらず、今回の税務訴訟において裁判所は、健康診断業務による収入を「給与所得」であると断じたのです。
本記事では、医師が複数の医療法人等で行った健康診断業務の報酬について、その所得区分が争われた名古屋地裁令和5年6月22日判決を紹介します。過去に別の裁判で「労働者ではない」との判断を受けていた原告が、なぜ今回の税務訴訟では敗訴してしまったのか。裁判所が重視した「指揮命令」や「リスク負担」の実態から、医師の確定申告における注意点を探ります。
事案の概要
本件は、医師である原告が、健康診断業務に係る収入について、当初は給与所得として申告したものの、その後、一部は事業所得に該当すると主張して更正の請求をしたこと、また、翌年以降についても、健康診断業務に係る収入の一部及び意見書作成業務に係る収入を事業所得として確定申告したことを契機として争いとなった事案である。
処分行政庁は、平成28年分の更正の請求について更正をすべき理由がない旨の通知をし、平成29年分及び平成30年分については、健康診断業務に係る収入は給与所得、意見書作成業務に係る収入は雑所得に該当するとして更正処分等及び過少申告加算税の賦課決定処分を行った。原告は、これら一連の処分はいずれも違法であるとして、その取消しを求めた。
主文
- 原告の請求をいずれも棄却する。
- 訴訟費用は原告の負担とする。
請求
- 昭和税務署長が、令和元年8月8日付けで原告に対してした平成28年分の所得税及び復興特別所得税に係る更正の請求に対する更正をすべき理由がない旨の通知処分を取り消す。
- 昭和税務署長が、令和元年8月8日付けで原告に対してした平成29年分の所得税及び復興特別所得税に係る更正処分のうち、総所得金額837万3424円を超える部分及び還付金の額に相当する税額301万6392円を超える部分並びに過少申告加算税の賦課決定処分を取り消す。
- 昭和税務署長が、令和元年8月8日付けで原告に対してした平成30年分の所得税及び復興特別所得税に係る更正処分のうち、総所得金額268万1612円を超える部分及び還付金の額に相当する税額92万8332円を超える部分並びに過少申告加算税の賦課決定処分を取り消す。
前提事実
原告の業務
原告は、職業紹介会社を通じて紹介を受けるなどした医療法人等の健康診断業務等に従事する医師であり、平成28年から平成30年までの間に、複数の医療法人等の健康診断業務に従事した。
また、原告は、上記とは別に、A社から委嘱された顧問医として、医療過誤事案についての意見書等の作成業務にも従事した。
申告・更正請求・処分等の経過
原告は、平成28年分の確定申告において、健康診断業務に係る収入を給与所得として申告し、意見書作成業務に係る収入を雑所得として申告した。
その後、平成28年分につき、健康診断業務に係る収入の一部は事業所得に算入されるべきであるとして更正の請求をした。
また、平成29年分及び平成30年分については、健康診断業務に係る収入の一部及び意見書作成業務に係る収入を事業所得として申告した。
処分行政庁は、令和元年8月8日付けで、平成28年分の更正の請求について更正をすべき理由がない旨の通知処分を行い、平成29年分及び平成30年分については、健康診断業務に係る収入は給与所得、意見書作成業務に係る収入は雑所得に該当するとして更正処分等及び過少申告加算税の賦課決定処分を行った。
原告は、これらの処分を不服として審査請求をしたが棄却され、訴えを提起した。
争点
本件では、原告は、健康診断業務に係る収入のうち、特定の医療法人等(B、C、D)から得た収入に限って事業所得に当たると主張しており、その余の医療法人等から得た収入が給与所得に当たること、意見書作成業務から得た収入が雑所得に当たることは争っていない。
したがって、本件の争点は、原告がB、C及びDから得た収入が給与所得に該当するか、である。
争点に関する当事者の主張
原告の主張
原告は、本件において、健康診断業務に係る収入のうち、B、C及びDから得た収入については、自己の計算と危険において独立して営まれた業務から生じたものであり、事業所得に該当すると主張する。
原告は、過去において、複数の裁判所から、原告が給与所得者ではなく業務請負人である旨の判断を受けているとし、業務委託契約に基づく報酬は事業所得として扱われるべきであると主張する。
また、Bとの関係については、名古屋地方裁判所が業務委託関係を認め、Cとの関係についても、他法人における業務を引き継いだもので内容は同一であり、実質的に業務委託関係にあるとする。
Dとの関係については、形式上は雇用契約であるものの、業務の内容や遂行方法はBやCと同様であり、実質的には業務委託契約であると主張する。
以上から、B、C及びDから得た収入はいずれも事業所得に該当し、これらを給与所得として課税した本件各処分は違法であると主張する。
被告の主張
被告は、事業所得とは、自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性、有償性を有し、かつ反覆継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められる業務から生ずる所得であるとした上で、事業所得と給与所得の区別は、形式的な契約類型によって決まるものではなく、業務の実態に即して総合的に判断すべきであると主張する。
被告は、原告がB、C及びDにおいて従事した健康診断業務について、業務の従事日、時間及び場所について指定を受け、必要な設備や器具、交通費等も相手方が負担し、医療事故等のリスクも原則として相手方が負担していることなどから、原告の計算と危険において独立して営まれた業務とはいえないと主張する。
また、原告の業務は、各医療法人等の指揮命令の下で、空間的・時間的拘束を受けて行われたものであり、その対価として支払われた報酬は、使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価としての性質を有するから、給与所得に該当すると主張する。
裁判所の判断
判断枠組み
裁判所は、事業所得について、自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性・有償性を有し、反覆継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められる業務から生ずる所得であると解するのが相当であるとした。
一方、給与所得については、雇用契約に基づくものに限られず、使用者の指揮命令に服して提供した労務又は役務の対価として受ける給付を含むと解するのが相当であり、その該当性の判断に当たっては、空間的・時間的拘束の有無や、指揮命令の下で労務提供が行われたかどうかを重視すべきであるとした。
したがって、ある収入が事業所得に該当するか給与所得に該当するかは、収益や費用の帰属、リスクの負担者、指揮命令関係、空間的・時間的拘束の有無等を総合考慮して、個別具体的に判断すべきであるとした。
原告が援用する他の裁判例について
裁判所は、原告が援用する他の裁判例について、労働契約の成否や業務委託契約の成立が、そのまま所得税法上の所得区分を決定するものではないと指摘した。
また、他の裁判例は、当該事件における労働者性や契約関係を判断したものであって、本件における各収入が所得税法上の給与所得に該当するか否かを直接判断したものではないとして、原告の主張を採用しなかった。
Bから得た収入について
裁判所は、原告がBから得た報酬について、従事した時間に応じて定額で支払われており、受診者数や業務の成果によって変動するものではないこと、業務に必要な器具や交通費等は原則としてBが負担していること、医療事故等のリスクもBが負担していることを認定した。
また、原告は、Bから業務の従事日、時間及び場所の指定を受け、業務の遂行状況についても管理を受けており、空間的・時間的拘束の下で業務に従事していたとした。
以上を踏まえ、原告がBから得た報酬は、Bの指揮命令に服して行った労務提供の対価としての性質を有し、給与所得に該当すると判断した。
Cから得た収入について
裁判所は、原告がCから得た報酬についても、従事時間に応じた定額報酬であり、業務に必要な費用は基本的にCが負担していること、医療事故の責任も原則としてCが負担していることを認定した。
また、原告は、Cから業務の従事日、開始・終了時間及び従事場所の指定を受け、業務遂行状況について管理を受けていたことから、指揮命令関係及び空間的・時間的拘束が認められるとした。
その結果、原告がCから得た収入についても、独立した事業から生じたものとはいえず、給与所得に該当すると判断した。
Dから得た収入について
裁判所は、原告がDとの間で雇用契約を締結し、更新を重ねて健康診断業務に従事していたこと、報酬は日額定額で支払われていたこと、業務に必要な器具や交通費等はDが負担していたことを認定した。
また、原告は、Dから業務の従事日、時間及び場所の指定を受け、服務規律を遵守すべき立場にあり、業務の遂行状況についても管理を受けていたことから、Dの指揮命令に服し、空間的・時間的拘束を受けて業務に従事していたとした。
以上から、原告がDから得た報酬についても、給与所得に該当すると判断した。
結論
裁判所は、原告がB、C及びDから得た収入はいずれも給与所得に該当するとした上で、その余の健康診断業務に係る収入が給与所得に該当すること、意見書作成業務に係る収入が雑所得に該当することについても争いがないことから、これらの所得区分を前提とした本件各処分はいずれも適法であると判断した。
その結果、原告の請求はいずれも理由がないとして棄却するとの結論に至った。
なお、高裁・最高裁も原告の主張を認めていません。
⚖️ 判決のポイントまとめ(名古屋地判令和5年6月22日)
- 給与所得の判断基準:「空間的・時間的拘束の有無」と「指揮命令下での労務提供かどうか」を中心に、収益・費用の帰属、リスク負担者、指揮命令関係を総合考慮して個別判断する。
- 他の民事判決との関係:労働契約の成否や「業務委託契約」の成立は、そのまま所得税法上の所得区分を決定しない。民事上「労働者でない」と判断されていても税務上の給与所得認定は別途行われる。
- B・C・Dからの収入の認定:①報酬が時間単価の定額払い(成果連動なし)、②器具・交通費等はクライアント負担、③医療事故リスクもクライアント負担、④クライアントの指揮命令・設備・スケジュールに従い業務提供 → いずれも給与所得と認定。
- 原告の主張の排斥:複数の医療機関と契約・自由な日程調整・確定申告の実施等の事情は、給与所得該当性を否定するに足りないとされた。
- 結論:原告請求棄却。控訴審(名古屋高判令和5年11月24日)でも棄却。
✅ 実務上の留意点
- 「業務委託契約」の名称だけでは不十分:実態として時間・場所を拘束され、指揮命令下で業務を行っていれば給与所得と認定される。形式ではなく実態で判断される点を認識すること。
- 事業所得認定のための実態作り:①自己負担の設備・器具を使用する、②業務の成果(人数・件数等)に応じた報酬体系にする、③医療事故・損害リスクを自己負担にする、④スケジュール・手順・場所の決定権を自分が持つ、など実態上の独立性を備えることが必要。
- 複数の医療機関との契約は有利か:複数契約があること自体は事業所得認定の決め手にはならない。各契約先ごとに個別に実態を判断されることに注意。
- 民事判決の効果は税務に及ばない:「業務委託である」「労働者でない」という民事判決・労働審判の結果は、所得税の申告に際して援用できないと裁判所は明示している。
- 過少申告加算税・延滞税のリスク:給与所得であるにもかかわらず事業所得として申告していた場合、更正処分のほか過少申告加算税・延滞税が課される。税理士との事前確認を徹底すること。
❓ よくある質問(FAQ)
A. 契約の名称だけでは決まりません。実態として「時間・場所に拘束されているか」「指揮命令を受けているか」「費用・リスクを自己負担しているか」などを総合的に判断されます。本件では業務委託契約があっても給与所得と認定されました。
A. なりません。民事上の「労働者性」の判断と、所得税法上の「給与所得該当性」の判断は別個の法律問題です。税務当局・裁判所は所得税法独自の基準で個別に判断します。
A. 複数契約があること自体は事業所得認定の決め手にはなりません。各契約先ごとに実態を個別判断されます。各医療機関との関係で独立性(自己負担・成果報酬・リスク負担等)が認められれば事業所得となり得ますが、そうでなければ給与所得と認定されるリスクがあります。
A. ①自己の設備・器具を使用する、②成果(診断人数・件数)に応じた報酬体系にする、③医療事故リスクを自己負担にする、④業務の日時・場所・手順を自分で決定できる体制にする、といった実態上の独立性を整えることが重要です。税理士と事前に契約内容や業務実態を確認することをお勧めします。
